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東京地方裁判所 昭和47年(ワ)4509号 判決

原告 丸岡信用金庫

理由

一  請求原因(一)の事実については当事者間に争いがない。

また、被告が別件の手形金請求事件の答弁書において、原告の主張するような「役職員が業務について収賄した。」との主張をなしたことは、これを認めるに足りる証拠がない。

そこで、被告の答弁書記載事実(すなわち請求の原因(一)の2の(3)記載事実)が一般的に金融機関としての原告の名誉ないし信用を毀損する事実に該当するものか否かについて判断するに、原告において自己の名誉ないし信用を毀損する事実に該当すると主張するものは次の五項目に要約される。

(一)  本件手形は盗取されたものであり、原告は右盗取の事実を知りながら、裏書譲渡を受けたものである。

(二)  原告は、昭和四六年二月ころ、橋本商事との間で手形割引契約をなし、この際割引料日歩二銭八厘、歩積一・八%とし、割引金のうち三分の一を定期預金として預け入れることとした。

(三)  右契約の謝礼として橋本商事は、原告の本部長および同支店長に各金五〇万円、飲食代金五〇万円を支払う旨約した。

(四)  原告は、橋本商事から右契約に基づいて約束手形三三通(額面合計六九二五万三二〇八円)を受取り、各手形について決済されているに拘らず、割引金のうち金二七九五万三二〇八円を未だ支払つていない。

(五)  右手形三三通をめぐり原告が大蔵省から行政上の責任を問われている。

以上のとおりである。原告は、右はすべて虚構の事実であるうえ、橋本商事と取引があると主張することは、信用金庫法に違反する会員外の者と取引があるような誤解を与え、割引金のうち三分の一を定期預金にするということは不当な取引契約があるようなイメージを与え、金融機関の役職員が取引の謝礼として金員を収受する約束をしたということは著しい名誉毀損であり、割引金一部を支払わないということは、金融機関が取引の相手方をごまかして割引金を交付しないような印象を与えるものであるというのである。

ところで、原告は、信用金庫として信用金庫法の適用をうけるものであることは明らかであるが、原告が一般に手形割引をなしうることについては特に問題がなく、ただそれが法律の制約を逸脱して会員外の者を相手としてなされる場合に限つて違法もしくは不当な取引として非難されることがありうるものであるところ、被告が別件において主張するところは、単に原告が橋本商事との間に手形割引契約をなしているというにすぎず、右橋本商事が会員外の者であることを明記して主張しているものでないことは前記争いのない事実のとおりであつて、この程度の事実主張をもつてしては、とうてい原告の名誉・信用を傷つけるものとは認め難く、これをもつてそもそも不法行為に該るものと解することはできない。よつて、この点に関する原告の主張は採用し難い。

しかしながら、その余の事実のうち、盗取手形であることを知りながら裏書譲渡をうけたということ、謝礼として役職員が金員を収受する旨の約束がなされたということ、決済ずみにかかわらず割引金の一部を支払つていないということ、手形取引に関して大蔵省から行政上の責任を問われているということは、原告の金融機関としての性格、機能および存在意義等にかんがみ、またその名誉なかんずく信用が保持されなければならないものであることを考えると、右のような事実を指摘されることは、原告の名誉、信用に少なからざる影響を与えるものであつて、名誉毀損の事実に該当するものというべきである。

さらに進んで、割引料日歩二銭八厘、歩積一・八%、割引金のうち三分の一を定期預金として預け入れるとの合意について検討する。

前掲《証拠》を総合すると、次の事実が認められる。原告は、一般に手形取引をなすに際し、利息・割引料・手数料・保証料を定め、かつ歩積その他担保設定手続をとることを合意すること、また歩積は額面の一ないし三%であること、本件手形については、右のような手続を踏み、かつ額面九三〇万円のうち、手形貸付依頼人サザンに対し金八八四万八九五〇円を支払い、金二六万三一三八円は利息として原告が取得したこと、が認められる。しかし原告と橋本商事との間に被告主張のような具体的合意があつたことを認めるに足りる証拠はない(この認定に反する乙第九号証は措信しがたい。)が、右のような原告の取引事情を考慮すると被告の主張する程度の記載をもつて、原告の名誉ないし信用を毀損する事実に該当するものということはできないから、この点に関する主張は失当である。

二  ところで、弁論主義、当事者主義を基調とするわが民事訴訟の下では、当事者が自由に忌憚のない主張を尽すことが重要であり、これを強く保護しなければならないので、訴訟における当事者の主張の中に相手方の名誉や信用を毀損するような事項が仮にあつたとしても、それが特に悪意をもつてなされた主張でないかぎり、右の如き主張が直ちに不法行為を構成するものと解することはできない。もとより自由に忌憚のない主張をすることが許されるのは当該訴訟との関連において、権利または事実関係の成否を決するような重要な争点に関してなされたものでなければならず、当該訴訟と全く無関係な事実を主張して相手方の名誉・信用を毀損することは、もはや許された範囲を逸脱したものといわなければならない。すなわち、当該訴訟において、攻撃、防御方法として必要性があり、相当な方法における主張であれば、仮に相手方の名誉ないし信用を毀損するような事実に亘るものであつても社会的に相当なものとして許されるものというべきである。

三  そこで、前段において被告の別件における主張中原告の名誉・信用を毀損するものと判断した各事実につき順次検討する。

まず本件手形は盗取されたものであり、原告は右盗取の事実を知りながら裏書譲渡をうけたものであるとの主張について考えるに、これは、被告も主張するように手形訴訟におけるいわゆる悪意の抗弁として主張されたものと認められるところ、具体的には、被告は、本件手形はサザンが盗取したもの、すなわち、被告が、昭和四六年六月三〇日、橋本商事あて福井空港留めの航空便で送付したが、南織物の従業員であると同時にサザン福井支店長である若月正憲が同空港事務所において勝手に受取り、原告に裏書譲渡し、原告はこれを知りながら取得したものであると主張するのである。

《証拠》によれば、被告は従来から手形の割引を橋本商事に依頼しており、本件手形もその例に従つて被告から橋本商事に送付されたものであること、南正明の経営する南織物の従業員であり、かつサザン福井支店の支店長(但し、サザン福井支店は若月正憲が一人で従事し、かつ給料は南織物から支給されていた。)である若月正憲が、サザン福井支店長名義で、本件手形に受取人として、また第一裏書人として原告に裏書した旨記載されているが、被告はサザンなる会社を全く知らなかつたこと、これに対しサザンの支店長若月は南織物の従業員であり、南織物の経営者の南正明は当時原告の理事であつたこと、被告は右手形三通の支払呈示に対し契約不履行を理由に支払を拒絶し、不渡処分を免れるため手形額面金額を世田谷信用金庫に預託していること以上の事実が認められる(乙第一〇号証および証人南正明の証言中この認定に反する部分は措信しがたい。)。

そうだとすると、被告が、割引依頼のもとに橋本商事に送付した本件手形に、自己の全く預り知らないサザンが受取人として記載されているのを見て、これを盗取されたものと判断し、かつ原告と南正明、南と若月正憲との関係を考慮して、原告も右盗取の事実を知つて裏書譲渡を受けたものと考え、よつて右手形金請求訴訟において、原告に対し、自己の権利を防御するため、前記悪意の抗弁を提出するに至つたとしても、それは不合理な推論によるものとはいえず、訴訟上の主張として許される範囲にあると認めるのが相当である。

別件における被告の主張中その余の事実については、その主張の体裁からして、原告が悪意であることを間接的に裏づけるべき徴憑として主張されたものとみることができる。すなわち、本件手形取引当時なされていたとする原告と橋本商事との間の合意の内容およびこれに基づく取引にいかがわしいところがあつたという事実であり(役職員に対する謝礼の約束、割引金の一部未払の点)、また本件手形を含む原告の手形取引に不正な点があつたという事実(行政監督庁の介入の点)であつて、右は悪意の抗弁と一体をなしているものということができるし、右間接事実の主張は、被告において裁判所に対し、慎重な審理を望む意見を述べたものともいうことができるのであり、そして、これらの主張事実については、本件証拠中、その真否は兎も角として、形式上これに照応する如きものが存するのである。

結局、被告の別件答弁書における以上の主張が、被告の防御方法として必要性および関連性を肯認しうるものであること、および主張の方法が執拗に過度になされたものということもできないこと等を総合して判断すると、訴訟上の主張として相当な範囲内にあるものとして違法性を阻却するものと解するのが相当である。

四  そうすると、被告が防御方法の名のもとに、訴訟を奇貨として原告の名誉ないし信用を毀損するような事実をことさら悪意をもつて主張したものであることを認めるに足りる証拠がなく、従つて原告の再抗弁事実が採用できない本件においては、被告の答弁書記載の主張は、弁論主義・当事者主義を基調とする民訴法のもとで攻撃防御方法として許される範囲を逸脱するものではないと解するのが相当であつて、被告の抗弁は理由がある。

五  以上の次第であるから、原告の本訴請求はその余の点につき判断するまでもなく失当として棄却する

(裁判長裁判官 田中永司 裁判官 新村正人 後藤邦春)

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